田舎でも、都市的理知的なゆとりある未来生活を

  今日の朝、仕事前にPRESIDENT Onlineの記事を読んだ。勝間和代さんの都心近くに住むスローライフ推奨の記事だった。

 

 内容は、現代テクノロジーや利便性を駆使し、豊かな生活を送るライフスタイルを送ろう、という内容だったと思う。

 

 この提案は、都会に住む人にとって、とても現実的で、良いものだと思う。きっと都会暮しの人にとって、途中からUターンやJターンして田舎暮らしをするなんて事は、よほど変化を苦でなく思えるか、コミニュケーション力があるか、思い切りがないと難しい事だろう。

 

   また、最近の勝間さん出演のYouTubeでも、生活する環境が先端の文化に触れられるか否かは、人生において、かなり大きいというようなことをおっしゃっていた。

 それは、本当に、そう思う。

 

 昨年、秋葉原の家電店をハシゴしながら、集音器付き骨伝導イヤホンを探したことがらあるのだが、新潟では、まず、骨伝導イヤホン自体がなかった。

 結局、自分用のイヤホンは、Amazonから購入したのだが。

 電化製品だけではない。本でも服でも、都会というところは、圧倒的に、小規模店舗でさえ、種類もグレードも、田舎とは比べ物にならないほどに、豊富な選択肢が提供されている。

 

 最近、私は、オーディオブックを家事の最中や通勤中、休みの日の買い物途中で楽しんでいるが、私の周りに、音で本を聴く人間は、今だ見つかっていない。

 

 都会には、きっと様々な便利ツールがたくさんあって、人生における選択肢の情報を得ることが、電子情報からだけではなく、直接、身近な人からも得ることができる世界なのだろう。

 

 私は新潟県民だ。

 雪国は、雪が降るだけで、生産性が悪くなる。

 道路は混むし、事故も増える。

 朝の出勤前に、家から出るために雪かきし、車を出すために雪かきし、職場に着いたら駐車場に入るために雪かきする。お客様のために、歩道や駐車場を、雪かきする。

 肩も腰もパンパンだ。

 

 そして、空には雪雲が太陽を隠し、外の世界は、昼間でも暗くなる。最近は、温暖化のため、30年ほど前よりは、だいぶ、太陽が顔を見せてくれることも多くなりはしたが。

 

 しかし、そうそう田舎生まれの者たちが、簡単に都心の生活がするという訳にもいかない。

 先祖代々の土地や、親族などのしがらみを一刀両断というのも、なかなかに割り切れないものである。

 

 咲いてるところで咲く花になるとすると、知恵と工夫が必要だ。それこそ、現代テクノロジーと道具の利便性を駆使すれば、それなりの労働生産性を高め、心身ともに豊かな生活は、送れそうな気がする。

 例えば、電動アシストスーツを装着すれば、農作業や林業も、腰や肩を痛めないでやれそうだ。何なら、凝りをほぐすマッサージやストレッチなどのプログラムを搭載したAIマシンができれば、身体を損なわず、運動機能もバッチリ維持できる。1次産業をこなして、豊かな自然を満喫し、栄養価の高い食料を食べ、スマホタブレットで最新の情報を得て商売し、時にVRで都会の文化を楽しむ。

 ……そんな妄想を、今日はひとり楽しんだ。

 

 豊かな未来は、きっと、想像した人間の数だけ生まれるに違いない。

 

 明日もまた、夢を誰かに語ることにしよう。